開業物語

知り合いの大家さんに「ここでやってみるか?」と、言われたのがきっかけで3カ月後には

クレープ屋

をオープンさせていました。

場所は

松山

でも交通量の多い角地。

この場所でやってみるか?と、言われて正直

「建物ないじゃんww」って思いました。

ふと思い出しました

~2011年3月11日~

東日本大震災

がありました。

そのとき僕は知り合いの飲食店など10店舗に義援金箱を置かせてもらい毎月、郵便局から日本赤十字社を通じて義援金を送る事しかできませんでした。

「この義援金は何に使われてるんだろう?どの地域の人に使われてるのだろう?」

何らかの形で役にたってはいるのだろうけど、いったいどこで何に使われたの?

達成感は無く、その疑問だけが残りました。

 

その時の記憶がなぜか脳裏を過ぎり

【緊急時に移動できる飲食店にしよう!】

と、ひらめいたのです。

被災者の方をテレビでしか見ることがなく、配給の様子などを毎日のように目にしていました。
電気は停まり携帯とテレビが無い生活の事をテレビでは「ライフラインが途絶えた」と表現していました。
便利な世の中になって、その【便利さに慣れてしまった】からこその表現だと思いました。

もっとスポットを絞って、〇〇市とか、ピンポイントに支援活動できればいいのに

「被災者の方でも今日食べる物を選べる自由はあってもいい」

今日の配給は、カレーです。

今日は配給はトン汁です。

それだけでも十分にありがたい事なのですが

【被災者の人も復興活動に励み今日は食べたいモノを食べる】

赤十字社を通じての義援金活動を経て、もっと

ピンポイント

で市町村を訪ねて街同志の絆を深めたい!
復興も終わり、落ち着いた頃に「復興のお手伝いをしてくれた、愛媛にでも旅行に行ってみようかな。」
そう思ってもらえる日が来るのを夢見て頑張りたいです。

人として、困った時は支え合っていく。
本来の人間らしい姿で手助けしたい!

そこで思いついたのが頑丈な輸送用コンテナ。

この輸送用コンテナを使って、移動できる店舗を作ろう。

緊急の災害時には店舗ごとトレーラーに載せて

被災地に移動しこのキッチンスペースを活用してもらい被災者の中から、営業できなくなった飲食店の方などを募り、中華、どんぶり、らーめん、うどん、甘味等を提供できる体制を整え一緒に街を復興していく手伝いがしたい。

今までの経験や思った事、すべての点が線になって繋がっていくのを実感しました。

 

いつになるかわからないけど将来は

【災害地復旧支援の飲食スペースをコンテナ群】

で作るのが夢です。

このようなコンテナ店舗を5機~10機

被災地に持っていき復旧活動のお手伝いと、食の大切さ、有難さをより多くの人に再認識してもらいたい。

被災者だって「今日の夜ご飯は何にしようか?」と、考えながら街の復興に向けて頑張れるし。

自分の店で営業できなくなった人にキッチンとなる店舗や必要な食材を提供して「今日は中華料理、今日はうどん、今日は天ぷら」等、みんなで食の大切さや有難さを再認識しながら街の復興をお手伝いしていけるように。

そんな想いからすぐに先輩の車屋さんに相談しに行きました。

先輩は「おもしろいね、発想が面白いね」そういってくれました。

そして、「そのコンテナを是非作らせてくれない?」と、手を挙げてくれました。

コンテナを改造するには僕の住んでる愛媛県の近くにそういった工務店はほとんど無く、どうしようかと悩んでた時だったので、僕としてもとても助かりました。

さっそく車屋さんと打ち合わせをし

中古コンテナを手に入れてもらいました。

店舗に改造するまでの場所とかも色々困ってたので

車屋さんの工場に置かせてもらって作業できたのは本当に助かりました。

コンテナが届いてからどのような内装にするか?どこに窓を設置するか?

自分なりに考えては先輩(車屋)さんのところに毎日のように通い

いろいろと相談し、意見を出し合いました。

 

僕には設計図を描くような専門的なCADや建築での技術はないので

エクセルで下のような簡単な図を作って、それを見せて作ってもらいました(笑)

 

 

さすが車屋さんだけあって穴を空けたり加工したりはお手の物。

板金のプロフォッショナルですからね。

その間も、知り合いの飲食店などに足を運び

コンテナと同じぐらいの幅のスペースで飲食店をしていく場合は

実際のキッチンではどのような設備が必要なのか?

実際にスケールを持っていって測らせてもらったりしました。

そうこうしていると着々とコンテナは仕上がってきます。

 

 

しかし、このときはまだ「何屋をするのか?」

はっきりとは決まっていませんでした。

 

一方コンテナを設置する予定となる現地ではコンテナに合わせて水道の給水と排水の工事が進められていました。

知り合いの水道屋さんなので例の雑な図面を見せながら、いろいろと無理を言っちゃいましたが

なんとかコンテナとの図面と照らし合わせて配管してくれました。

そうこうしているうちに車屋さんでできる(板金、塗装、断熱材を入れる)作業が完了したとの連絡が。

あとは現地で内装や外装の仕上げをしていくとのこと。

 

 

これまた知り合いのクレーン屋さんと運送屋さんに相談し運搬する日にちを決める。

自分一人では何もできないけど

本当にたくさんの人に支えられてるんだなあ、とあらためて実感したときでもありました。

 

 

いざコンテナを設置してみると、コンテナ側と地上側の給水と排水の配管もバッチリ!

ここから急ピッチで内装やお店らしくなるように

作業が進められていきます。

このあたりからクレープ屋が近くにないのでクレープをやろう!って思い始めるのですが、そもそもクレープ屋で働いたことのない僕は

どんなクレープが人気なのか?

 

それを知るために「若者の集まる街」大阪へと旅立ちました。

大阪の知り合いに「クレープ屋を始めたいから人気のクレープ屋を案内してほしい」

と、伝えて、連れていかれたのが
クレープリー・アルション でした。

そうです、当店の人気クレープ

【バターシュガーアーモンド】

このお店のクレープがモデルになってるのです。

食べた時は衝撃的でした。

今まで自分が想像していたクレープとは違い

サクッと軽く、素材の味がシンプルに味わえる。

 

さっそく愛媛に戻り何度も試作を重ねて完成したのが


なのです。

とっても美味しいので一度食べてみてください。

老若男女すべての人に一度は食べてもらいたい!と、言う思いから

このような値段設定になっております。

大阪から帰ってくると

着々と工事が進行していて驚きました。

本当に僕の「無理な要望」を

何度か嫌な顔はしましたがww

最後までこなしてくれた大工さんには感謝ですw

あれよあれよと、お店が完成していくのに

クレープを焼いたり、巻いたり。

実践をしてない自分がここには居ました。

でもなんとか夜な夜な練習をしてなんとかなりました。

オープンしたばかりの時は雨ばかり続いたので思うようにはいきませんでした。

ここから僕のクレープ屋としての物語が始まるのでした。

 

近年発達してきた日本という恵まれた環境のこの国で

【いつでもできるからやらない】ではなく

【やるべきことを今やる】

【やりたいことを見つける】

きっかけを作っていきたいです。

便利すぎる日本が嫌になり

(スマホやネットでなんでも調べれたり知識や情報を得られる)

そのテクノロジーが無くなった時、頼りすぎてたら本当に恐ろしい事がおこる。

と、思って、何も持たずに海外を旅して

きっかけや、コミュニケーションの大切さを再認識し

もっともっと現代の日本人のもコミュニケーションの大切さや楽しさを

再認識してもらいたい!

僕の目的は

皆さんの人生の【きっかけ】【つながり】【絆】をコンセプトに

生きてるうちには地震大国日本で

自然とうまく付き合いながら生きる国にできればなと思ってます。

コンテナ群での飲食ブースをはじめ、居、食、住すべてのことに困らないよう

みんなで

【きっかけ】

をつくり

【つながり】

を持ち

【固い絆】

で支え合う

素晴らしいコミュニティが繁栄すればいいなぁと切に思っております。

自然と共に、自分らしく人間らしく。

とりあえず

松山から頑張っていきたい

と思います。

 

質問や疑問、なんでもいいので

何かあればコメントメッセージお待ちしております。