インクルーシブ教育について、教育学部の子と話しました。

インクルーシブ教育とは何か?
まず、インクルーシブ教育を聞いたことがない人に向けて、わかりやすく説明したいと思います。インクルーシブ教育は、教育の場において「みんなが多様である」とする価値観に基づき、障害の有無にかかわらず、一人一人の個性を尊重し、そのままで受け入れる教育です。

よく似た言葉として「インテグレーション(統合)」と「インクルージョン(包摂)」があります。

  • インテグレーションは、障害がある子どもを特別な配慮なしで普通学級に通わせることですが、この方法だと障害に対する偏見やマイナスの評価が生じることもあります。
  • インクルージョンは、障害の有無に関わらず、すべての子どもがその個性を尊重され、学びの場に参加できるようにすることを目指します。

要するに、多様性を尊重し、どんな状況下にあっても、すべての子どもが学びに参加できる環境を提供することがインクルーシブ教育の核心です。


インクルーシブ教育の対象と重要性
インクルーシブ教育は、障害のある子どもだけでなく、不登校やいじめなどの問題を抱えた子どもたちにも適用できます。例えば、いじめや不登校の原因が学校環境や人間関係にある場合、その原因を取り除くための環境改善や社会的スキルを高めるプログラムが必要です。

不登校やいじめの背景には、しばしば社会的な障壁や心理的な障害が存在します。こうした子どもたちに対しては、心理的サポートや個別の支援を提供することが必要です。インクルーシブ教育のアプローチでは、すべての子どもが学びの場に参加できるよう、サポートが求められます。


今日はそんな話を教育学部を卒業して春から教員になる学生さんと話していました。

学生は 「僕はインクルーシブという言葉が嫌いです。多様性でなんでも片付けようとして・・」

そう言う彼に質問をしてみた。 「じゃあ君はどんな教育者になりたいのか?」 その学生はお酒を飲んで酔っ払っていたこともありこう答えた 「勉強をやる気のある生徒だけ、伸ばせれば良いです。」 それを聞いて僕は少し寂しい気持ちになった・・・。



その教育学部の学生との会話で、インクルーシブ教育の重要性について深く考えさせられました。その学生は、「勉強をやる気のある生徒だけ、伸ばせれば良い。」私はその言葉に少し寂しさを感じましたが、実際に自分が体験したことを話してみました。

僕は中学時代、数学の授業でどうしても解けない問題がありました。その時、周りの人は理解してるのに僕だけ理解できないのが悔しくて、色々な計算式を試していたら独自の方法で答えにたどり着いたのですが、先生から「教科書通りにしなさい」と強く怒られました。「この問題から答えを導けているのになぜ?」その授業が終わり職員室に行き、他の先生にも聞いてみたが「先生の言うことが正しい」と言われた。理論的にも説明できる計算式を「教科書通りじゃないから」と、いう理由で否定され「教師」という存在に疑問を持つようになり、その経験がきっかけで、私は学校のほとんどの授業に出なくなりました。(日本で有名な数学者によると「生徒の計算式を否定できる根拠を示せなければならない」だそうです。)

その後、保健室で不登校の生徒と出会い、僕はその子が自習しているノートを見て、間違えていた問題を指摘しました。すると、保健の先生は怒り、「勉強の邪魔をするなら出て行きなさい」と言われました。しかし、僕はその後、この問題(不登校)をもっと深く考えるようになりました。


「保健室にいることが、その子にとって本当に良いのか?制服を着て学校に来る意味は何なのか?」
私はその生徒に話しかけ仲の良い友達を聞き出し、教室へ行き先生の許可なく勝手に席替えをして「ここで勉強せえ、もう保健室には来るなよ」と言い残し、教室に戻って勉強することを促しました。


その後、保健室に戻り、保健の先生に声をかけました。

「ねぇ先生、もしかして、あの子のこと、可哀想だと思って接してたん?」

保健の先生は黙って聞いていましたが、特に答えることはありませんでした。そこで、私は続けて言いました。

「でも、先生、あの子がずっと保健室にいたら、何のために学校に来てるのか分からないと思わん?自習なら家ですればええやん、俺みたいな邪魔者おらんし。出席単位欲しいなら来てすぐに帰ればええやん?あの子は確かに問題を抱えているかもしれんけど、学校に来ている理由は勉強をするためじゃなく、友達に会いたいからじゃないん?俺はそっちの方が大きいかな。楽しいと思える場所にしたいからじゃない?」

先生は何も言い返してきませんでした。ですが、私はそのまま伝えました。

「保健室でずっと勉強させていたら、あの子は一体どうなるん?高校でも同じことがあったら、また保健室に通うつもりなん?それであの子が楽しい学校生活を送れるとは思わんけど。俺は勉強だけではなく、友達と過ごす時間や、そうした人とのつながりが大切だと思うんやけど?」

僕は、そこで思いました。

「なぜ?」を考えなかったら、教育はただの形式に過ぎないのではないか。 子どもたちが置かれている状況や、何が問題なのか、どうすればその子が次のステップに進めるのか、その視点を持たなければならないと感じた瞬間でした。

その一件以降、その生徒は教室へ通えるようになり、僕は【保健室利用カード】を持参せずとも保健室を利用できるようになりました(笑)


この話を、教員を目指している学生たちに話しました。

「もし君たちが、いじめが原因で教室に入れない子どもを担当したら、どうする?」

ある学生はこう答えました。

「教室に来る(授業に参加する)生徒だけをしっかり教えます。」

私はその答えに対して、「じゃあ、不登校の生徒の未来はどうするのか?」 と問いかけました。

すると、その学生は黙ってしまいました。

「君たちが教員になる理由は何?どうして教員を目指しているん?」と改めて質問しました。

その学生はしばらく考えた後、「子どもたちの未来のためです。子供たちは可能性を秘め、その子たちの持ってる夢をしっかりとサポートしたいと思っています」と答えました。

その言葉を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろしました。教育者として「なぜ?」を常に考えることが重要だということを理解している証拠だと感じたからです。

学びの主体はあくまでも子どもたちであり、先生はその子どもたちを支えるサポート役に過ぎません。もし、その「なぜ?」を無視してしまったら、教育の目的を見失ってしまうことになるではないでしょうか。社会的な障壁や心理的な問題を抱える子どもたちを理解し、どのように支援するかを考えることが、真の教育者として求められる姿だと思います。

これは学校の先生だけでなく、地域や社会の大人たちもしっかりと見守っていく必要があると感じます。


インクルーシブ教育が実現する社会では、すべての子どもたちが平等に学び、成長することができる環境が整います。現代の日本でも、フリースクールなどの新しい教育の形が注目されています。

「学校」が多くの子どもたちにとって「楽しい場」ではなくなっているからこそ、フリースクールに通う子どもたちが増えているのが現状です。

私は、将来、フリースクールなどで多くの子どもたちが学びの楽しさを見つけることを期待しています。


若い学生さんたちと日本の未来を語るのは本当に楽しいです。

ご飯食べることも忘れて、これは記事にしておこ!と、思って

かっぱえびせん食べながら書きました。

終わり。

この記事を書いた人

岩井 隼人
岩井 隼人CREPE & CAFE Hi5 オーナー
2011年の東日本大震災をきっかけに【便利になりすぎた日本】で何不自由なく当たり前のように生きている自分が嫌になり言葉も地理も分からない東南アジアを携帯電話やインターネットの環境も断ち、2カ月間バックパッカーをして何も無い体一つの状態で生活してみる、そこで沢山の人々と接して生活していくなかで人とのコミュニケーションの大切さを知る。

コミュニケーションの大切さや日本の良さ、これからの日本のあり方を若者やお年寄りの方と話し合えるような場所、人が集まるような場所を作りたくて「老若男女集まるにはクレープ屋だ!」と、思いクレープ屋をはじめる。

多くの人に生きる喜びを伝えていきたいです。

このままでは人間は人工知能に支配される。と、本気で思っている(笑)

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